clovers~美少女カルテット~

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思考のお漏らし

寝るのが辛い日曜日と、起きるのが辛い月曜日。

人間二十半ばを過ぎるとそこからは基本スペックの低下が起こり、徐々に弱っていき死んでいく生き物なんだそうですが、最近その事について日々実感し始めており、死への恐怖が増えている日々でございます。

そんな中MUSICUS!というゲームをプレイ中なのですが、コレのおかげでまた人の死について、真正面から向き合う事になりました。

数年前に祖父が痴呆になり逝き、その数ヶ月後には母が癌で死んで、そこからは毎日の様に生とはなんぞや死とはなんぞやと、中学時代の思考の焼き回しが行われている毎日で、正直何にも手をつけ切ることのできない状態ありました。

家族親戚からは時々非人間の様な事を言葉の端々から受け取る日々で、まぁ実際親の死に目に涙もせずいたので、そう写るのもしょうがなしと、遂には自分でも己の事を非人間、畜生の類なのではないかと納得しつつあったのでございます。

ですが二人の死から二、三年もすると、もしも時を戻せたら親孝行をできたのではないか、仕事を辞めるタイミングをズラして安心させながら逝かせられたのではないかと考えて仕方ないし、学生時代に戻って早期発見のきっかけを作れたのではないかと思わずにはおれず、その想いこそが故人を悼んでいる証拠であると先日やっと気づくことができ、胸の痞えが取れた様な気が致しました。

無味乾燥な世の中で、私という畜生が人間を演じて生きてきたように感じていた事も、無意味に人生を過ごして流していた事も、全ては私にも感情があって、畜生ではなく一人のありふれた心ある人間だと気付くためにあったのだと悟り。

なんと無駄な人生だったのだろうと泣きそうになりました。

貴重な四半世紀をドブに捨てて得た答えが、そんな当たり前で、健全な人間なら当たり前に持ってる答えである事に、私はとてもじゃ無いが耐えられ無かったのですから。

そんな気持ちの中、心に響いたのが主人公、対馬馨とアジア帝国の楡とのやり取りで、意味と価値はイコールではなく、意味があるが価値の無い物もあれば、価値はあるが意味の無い物もあると言う話と金田の存在でした。

その要因がアダルトゲームというのは、人によってはそれこそが親不孝で恥ずべき事実の様に言われてしまう時代ではありますが、私はMUSICUS!をプレイできて良かったと思っております。

マクロよりミクロに、目と耳で感じ取れる範囲まで

 先月発売されました。『6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。』ですが、大澤めぐみ氏の三冊目なんですが、前作、前々作の『おにぎり~』『ひとくい~』とはまた全くと言っていいほどに雰囲気の違う、ノンファンタジーで描かれている本作になります。ストーリーとしては、四人の高校生達の視点から書かれる、お互いのお互いに対する気持ちや、自身の現状や生い立ちに対する不満、苛立ち、後悔、そして諦観ともいえる感情。どうにもままならないのは、彼か、環境か、それとも自分自身の……。

 思春期特有の、とは片付けられない。他人と関わればいつであっても思ってしまう、比較の嫉妬ともいえる、自己嫌悪にも似た感情が、四人それぞれの色や形で語られていきます。(そう考えると最後のスタンドの可視化は、通じあえたと考えてもいいのかもしれません)

 四人の語り口は、どこまでも不透明な自己の奥底を掻き分け探すようで、探そうと掻けば掻くほど感情の色が混ざって、一つの色になっていくように、一人一人の色を見つけていきます。

 他者作品で言えば『言の葉の庭』や『俺の教室に涼宮ハルヒはいない』などが好きな人におすすめの作品だと思います。

ヘブンズフィールを上から見るか下から見るか[ネタバレ]

桜礼装の配布も終了したし、そろそろネタバレ含めても良いかなと思うんで、続きを書いていきたいと思うんですけど、前回のを含めて不満なのかよと言われれば不満は多かったんですが、見方や解釈を変えたら5分の1くらいには減ったんですよ。

というか正直感想が煮え切らないのは、TVでUBWなんていう贅沢品を楽しんじゃったせいで、感覚がぶっ壊れてるせいもあるしね!

(正直あれ見た瞬間から、Diesじゃどう頑張っても勝てねぇと気づいていたさ)

と、まあ不満は上の言葉で大体片付いてしまうので、そんなにありません。唯一あるとすればオチが三部作ある前提の作りすぎて弱い! 本当にでは来週もこの時間に。とか言いそうなレベルでスゥと、終わっていったので観終わった後にとても消化や整理がつけづらく、映画見た後の「終わったぁ」という感じが全く得られなかったところですかね。あの終わりだったら、セイバーが泥に飲まれてオルタと対峙するところを、オチに持ってきた方がよかったんじゃないかと僕は思っています。

 

では、不満も言ったところで、どうやったらそういった不満を抑える見方ができるのかというと、簡単な話「間桐桜という少女の憂鬱」として観たらいいわけなんです。

……え? 前回は士郎の話って言ったろって? まぁそうなんですけど。

解りやすく言えば「背景や演出などの仄暗い雰囲気を桜としてみて、起伏のあまり感じられないストーリーの視点だけは士郎としてみる」というのが今回の作品の正しい味方なのかなと思います。

というのもストーリーとしてはHFは開始時点で桜の心は限界状態、士郎の精神も狂人的、聖杯戦争自体も詰んでる。という魔術サイドは割と取り返しのつかない状況で、さらにその詰んだ状況が決壊して、日常を侵食していったいるだけなわけなんです。

でも衛宮士郎という少年は、経験も精神も異常ではあるが日常に属しているのです。だからそんな魔術側の状況なんて知らない。もし仮に日常を犯してきても、聖杯戦争が終われば(マスターじゃなくなれば)またいつも道りの平穏が返ってくると思ってるわけです。だからこそ彼から見る第一章は起伏が少なく、マスターじゃなくなった最後に関しては「ただいま」といって終わりなわけです。

でもならば桜は? そう桜の聖杯戦争は終わってもいなければ、これから起こる惨劇も自分とこの町このセカイにも関係してしまうわけなんです。だからこそ日常シーンでも、そこはかとなく不安定さを感じたり陰りが見える。そして大好きな士郎が聖杯戦争から抜け、平穏に帰っていくからこその最後の「お帰りなさい」で終わるわけです。

そしてその桜の安堵をよそに、これからも関わる気満々の「どうやったら正義の味方に~」でエンドロールに入るわけなんですけども。

パンフレットの監督の言なんかも鑑みるに、そう考えてみると面白いなと思いました。

個人的におすすめの観方は、パンフレット読んでからが確実に楽しめると思います。

Fate/StayNight[Heaven'sFeel]公開中なので見てない人は、ぜひ一回見て、パンフレット読んで、そして二度目を観て、麻婆豆腐を食べたらいいと思います。

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ヘブンズフィール観てきました。……けど

先日誕生日でして、松竹の会員だと千円で映画が見られるクーポンが貰えますので、見にいってきたんですが、月並みな感想として良かったです。画が綺麗でした。と言ってしまえばそれで終わりなんですが、あえてブツクサとボヤいていきたいと思います。

改めて考えると、本当にエロゲしてねぇな

というのも、第1章ってパンフレットのインタビューにもあるんですけど、背景の色や光の使い方や、そこに置いたキャラのも含めた画の空気感が、「空の境界」に寄ってるんですね。

なので全体的に静の雰囲気や陰(淫)な熱量バリバリで行くわけです。

コレが月姫空の境界なら「よしよし」と笑みを浮かべてガッツポーズをするんですが、ただコレがFateとなると話が変わってきてしまう。

HFといえば、Fateの裏、3√の中でもかなり異質といわれるだけあって、どっちかといえば確かにUBWではなく、空の境界に寄せたのは正解ではあると思うんです。

ただ最初からその雰囲気が漂う事で、桜が心を取り戻す過程や、士郎がこれから失っていく何気無い平穏な日常にまで、何処か不穏な空気を感じてしまいました。

ここまで書いて、でも桜から見たら間違ってないじゃん。というふうに自分でも思ってしまったのですが、おいおいコレは衛宮士郎という少年の物語なんだぜ?

 

此れは英雄の物語ではない。

そう高潔な騎士として過去に謳われたアーサー王でも無ければ、砕けた末路であるエミヤシロウでもない。今を生きている衛宮士郎という少年の物語としてのHFなんですね。

そして映画も、それを知ってるからこそ平穏な毎日を丁寧に描いているのに、そこまで雰囲気を不穏にしたら、平穏がカケラも残らないじゃないか!と思ったんですが、こうやって書いていると違う視点が見えて来たりするものです。

ココからは結構ネタバレになって来るので、分けて書きたいと思います。

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A.そもそもなる必要がないから

ということで、前回のタイトルに関しての答えはこれしかないのですが、どっちも好きな人は解ってるよね。というレベルの話でした。

なにはともあれアニメ版DiesIraeも、だんだん安定してきたかなぁという感じですが、今の時期外せない話題といえば劇場版Fate/StayNight(以下SN)第三の物語ということで、ヘブンズフィールなんですが、僕は残念ながらまだ見に行ってません。

とはいっても周りの評判を聞く限り安心て見れそうなので、見てきたいと思います。

ヘブンズフィールといえば今までの二ルートとは真っ向から反しながらも、数奇に絡み合う「正義とは何か? 大切なモノは何か?」と問うストーリーになっているわけですが、ここでもDiesIraeとの違いが出てくるわけですね。

まず、DiesIraeとは「ある男の一生を賭けた純粋な恋物語」があって、そこに「生とは何か? 生き抜くとは何か? 愛とは何なのか?」というテーマが乗っているように思えるんですね? なぜ「?」なのかというと香澄ルートではそこが薄く感じたしからなんですが。

そこに対してSNというのは、「善の物語」というものにド直球で切り込んだうえで、「正義とは何か? 信念とは何か? そして、その二つが相反しかねない時に、何が起きるのか? なにが悪で何が善なのか?」ということがテーマであると考えています。

もうこの時点でだいぶ違うんですね。ここ、まで来て何が違うの?とか言われるとお手上げではあるんですが。良作やったことのある人は解るというか、まさにこれがDiesIraeファンが「どうすんのよ?」と懸念していたことの一つなわけですが、言ってしまえば、Fateは各ルートでテーマの問自体が違うわけなんですね。対してDiesIraeは一つのテーマに対して、各ルートで違う視点から答えを出してはいるものの、問自体は変わらないんですよ。つまり全体像を1ルートやっただけではテーマは解ってもそれに対する答えが明瞭じゃないんですね。(とはいっても、ズバッとセリフで言っちゃうこともあるんで解りずらいということはないんです)

ついでにギャグに関してなんですがFateに関しては割と「どこかの時空で」みたいな謎時空や並行世界を持ってきてやることが多いじゃないですか。

それに対してDiesIraeは、「楽屋裏みたいな曖昧な感じや作中時系列のどこかで、起きたかもしれない話」で押し通すことが多いような感じで、そのせいか余計にキャラが崩壊しやすかったり、ギャグ時空に力関係が引っ張られたりしているように感じています。

今後どんな進み方をしていくか楽しみなDiesIraeですが、とりあえず今日はこの辺にしておいて明日のヘブンズフィールを楽しみにしておきたいと思います。

何故DiesIraeはFateになれないのか?

なんていう風にタイトルを書くと、Dies下げのFate上げかなんて思われかねないが、まあ間違ってないよ。あってもいないけど。

 

というのもまず、元々型月作品も正田作品も好きなんだけど、Fate群だけは全くハマらなかったんですよ。というのも月姫空の境界などに始まる、どこかアンニュイでクールな作品が好きで型月作品を観始めたわけで、FateやDiesみたいな熱血ド直球って元々苦手で初期PVとDEEN版見た程度だったんですね。ただ月日が流れてやってもいいかなと思って、友人にPS2版を借りてプレイしたんですよ。で、そこからどちらにもハマっていったんです。

で、なんでDiesがFateになれないんだという話に戻るんですけど、そもそも構想の時点で狙っていた対象自体が違うんじゃねぇかなと思うんですね。

そもそもFate/StayNightは那須きのこさんが書いた小説作品がベースなわけじゃないですか、それでそれをあれこれ売るには当時男性アダルトゲームがちょうどいいから、そこに合わせるように中身をいじった。

でもDiesIraeってアダルトゲーム会社が発売するという前提があって書かれたもので、(もしかしたらこの前提が違うかもしれないが)狙っている的が違うんですね。

そもそもアダルト市場で戦うためにカスタマイズしたものと、そうでないものを市場でも戦えるようにチューンナップしたものでは、どちらの方がデチューンした際に支障が出にくいかなんてのは、言わずもがななわけです。

あと言うならギャグの取り扱いなんですけどもそこはまた後日話せたらなぁと思います。

今欲しいラノベ

11月1日にスニーカー文庫から刊行される「6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。」が楽しみで、今一番欲しいんですよ。という話は、まあタイトル言ったんで、もうどうでもいいというか、それは置いといて、この人の作品だいぶ個性的で面白いです。

もうホントに個性的で、具体的なこと何も言えてないんだけど、ホントに個性的。

まず、文章がギッチギチで改行がほとんどない。

一番最初の「おにぎりスタッバー」なんて一冊の内に数回しか改行してないんじゃないかってくらいギッチギチ。続編の「ひとくいマンイーター」でようやく普通の本レベルの白さ(それでも、ラノベとしては少ない方かも)

でも不思議と読みやすいんですねこれが、元々カクヨムで公開してたもののようで、横書きの状態で読むとさらにスラスラ読める。

他の公開作品を見る限り、基本地の分多い系みたいですが、結構適時自在に間隔を調整してるようで、作品の内容的にも「おにぎりスタッバー」が特別多く書いてるだけっぽいですね。

第二に内容がカオス

この人の作品どれにも言えるんですけど、基本シュールというか、俯瞰的というか、ちょっと気を抜くと頭が迷子になるような話が多いんですよ。

今日のフォトジェニック~♪みたいなノリで人が死んだと思ったら、何気ない感じで日常が再開されたり、惨殺死体のと横で恋が始まったり、台所にエクスカリバーあったと思ったら、SFじみたノリで魔法少女やったり、ホントに気を抜くと置いてけぼりになる。なのに文章自体は、だいぶゆるーい感じで進んでいくので、気が抜けていく。なんというかスラスラ読んで気づくと迷子になる感覚は、幼稚園児の迷子に似てて本当に気が抜けない。

でもその思考の抜け感が少しリアルというか、今日日ケータイ小説でもここまでぶっ飛ばねぇよってくらい唐突に話が変わる感じが、学生の時代のだらけた感じを的確に表現してくれてて、読んでるコッチも思考がだんだん「それあるー」「ウケルー(棒)」みたいな感じに毒されていくのが少し楽しかったり……。

そんな作品を書いている作者、大澤めぐみさんが出す次の作品の内容は以下

作品紹介

東京に旅立つ日。いつもの駅で、今日は新幹線を待つ。君は見送りに来るだろうか。最後の最後まで、お互いに言えなかったけど、本当に本当に好きだったんだ――とどまることなく進む、一度きりの高校生活。

触れ込みは、鬼才の描く「別れ」の青春物語ということで、どんな内容になるかとても楽しみです。

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君の名は。って蛇足まで書いたから受けた感あるよね。

ハリウッド化の話も出たし一年くらいたったから、こんな話をしても問題ないかな? という感じで書いて行くんですが、話はタイトル道理です。

まあ怒らないで話を聞いておくれよ。

何でこんなこと思ったかというと、個人的にアレ、滝君とバイト先の先輩の恋物語だよねと初めて見た時からずっと思ってて、三葉の視点でやってるから、あそこまで書かないと収まり悪かったんだろうなと。

今までだったら、アレ先輩を三葉に取られたと勝手に失恋して、飛騨高山行って、もういない三葉に思いを馳せる。みたいな感じだったと思うのですよ。

でも、それだと芸がないし、個人的に「ほしのこえ」のリベンジ、リブートぐらいまで言っていいようなモノだったんじゃないのかなぁ……とも思いました。

 

何はともあれハリウッド映画版は飛騨の風習とかどうするんですかね? インディアンとかにでもするんですかね? 改変部分に関してはとても楽しみです。

俺ガイル買いそびれたらネタバレされた話

友人A「三津屋クン。俺ガイル新刊買った?」

ボク「えっ、もう出てたんだ」

友人A「〇〇〇負けちゃったね」

ボク「うぇええええ?!(まだ読んでない! しかも意外性がねぇ!)」

 

といことで、9月20日に発売しました『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』ですが、まだ買っていないのに、ネタバレされた挙句。そのネタバレが意外性の欠片もない、メタ読みすりゃ解るものだったのですが、結局アニメの最後ですら答えを出さなかった『本物』問答に切り込んだようです。

 

人気絶頂の時はWHITEALBUM2になぞらえた二次SSが出たりとかしましたが、あえてそこに沿わせて言えば、「ガハマと雪乃、どっち選んでもアレなんだから川崎あたりに落ち着いちゃいなよ~」とか思っている僕なんですが、実際どちらを選んでも角が立つのは八幡も解ってるわけだし、傷付けないために、浅い傷で済むうちに撤退するのが今までのヒキガイズム(なにそれ?)だったわけなので、ストーリー的には誰も選ばない展開以外にはなるんだろうなぁ、と期待を膨らませています。

 

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やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。

最新12巻発売中です。

僕も本当の答えを知るためにも、明日にでも買いに行こう