clovers~美少女カルテット~

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ヘブンズフィールを上から見るか下から見るか[ネタバレ]

桜礼装の配布も終了したし、そろそろネタバレ含めても良いかなと思うんで、続きを書いていきたいと思うんですけど、前回のを含めて不満なのかよと言われれば不満は多かったんですが、見方や解釈を変えたら5分の1くらいには減ったんですよ。

というか正直感想が煮え切らないのは、TVでUBWなんていう贅沢品を楽しんじゃったせいで、感覚がぶっ壊れてるせいもあるしね!

(正直あれ見た瞬間から、Diesじゃどう頑張っても勝てねぇと気づいていたさ)

と、まあ不満は上の言葉で大体片付いてしまうので、そんなにありません。唯一あるとすればオチが三部作ある前提の作りすぎて弱い! 本当にでは来週もこの時間に。とか言いそうなレベルでスゥと、終わっていったので観終わった後にとても消化や整理がつけづらく、映画見た後の「終わったぁ」という感じが全く得られなかったところですかね。あの終わりだったら、セイバーが泥に飲まれてオルタと対峙するところを、オチに持ってきた方がよかったんじゃないかと僕は思っています。

 

では、不満も言ったところで、どうやったらそういった不満を抑える見方ができるのかというと、簡単な話「間桐桜という少女の憂鬱」として観たらいいわけなんです。

……え? 前回は士郎の話って言ったろって? まぁそうなんですけど。

解りやすく言えば「背景や演出などの仄暗い雰囲気を桜としてみて、起伏のあまり感じられないストーリーの視点だけは士郎としてみる」というのが今回の作品の正しい味方なのかなと思います。

というのもストーリーとしてはHFは開始時点で桜の心は限界状態、士郎の精神も狂人的、聖杯戦争自体も詰んでる。という魔術サイドは割と取り返しのつかない状況で、さらにその詰んだ状況が決壊して、日常を侵食していったいるだけなわけなんです。

でも衛宮士郎という少年は、経験も精神も異常ではあるが日常に属しているのです。だからそんな魔術側の状況なんて知らない。もし仮に日常を犯してきても、聖杯戦争が終われば(マスターじゃなくなれば)またいつも道りの平穏が返ってくると思ってるわけです。だからこそ彼から見る第一章は起伏が少なく、マスターじゃなくなった最後に関しては「ただいま」といって終わりなわけです。

でもならば桜は? そう桜の聖杯戦争は終わってもいなければ、これから起こる惨劇も自分とこの町このセカイにも関係してしまうわけなんです。だからこそ日常シーンでも、そこはかとなく不安定さを感じたり陰りが見える。そして大好きな士郎が聖杯戦争から抜け、平穏に帰っていくからこその最後の「お帰りなさい」で終わるわけです。

そしてその桜の安堵をよそに、これからも関わる気満々の「どうやったら正義の味方に~」でエンドロールに入るわけなんですけども。

パンフレットの監督の言なんかも鑑みるに、そう考えてみると面白いなと思いました。

個人的におすすめの観方は、パンフレット読んでからが確実に楽しめると思います。

Fate/StayNight[Heaven'sFeel]公開中なので見てない人は、ぜひ一回見て、パンフレット読んで、そして二度目を観て、麻婆豆腐を食べたらいいと思います。

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